ショッキングな看板
トップの写真は、熊本県の八代海(別名:不知火海)に沿って走る国道3号線を走行中に水俣市内で偶然見かけた看板。その内容は「水俣病」を「メチル水銀中毒症」という名前に代えてくれというものなのです
1950年代にメチル水銀中毒症であることが確認された「水俣病」。既に平成を通り越して令和の時代になった今なお、水俣出身というだけで偏見や差別が続いているということに衝撃を受けました。
病名のネーミングについて
新型コロナウイルス COVID19
ちょっと話が跳びますが、2019年12月以降、中華人民共和国湖北省武漢市で発生報告がなされた新型コロナウイルス関連肺炎について、WHOは2月11日にCOVID-19と命名したと発表しました。
この病名については当初わが国でも最初に報告された武漢市の名前を採って「武漢ウイルス」などと言っていたのです。
新感染症の名称に地名は使わないというルール
しかし、このように地名が付くことで「特定地域に行くと感染する。つまりその特定地域に行かなければ感染しない。自ら行かなくてもその特定地域から来た人から感染する」といった誤りを生む可能性もあるのです。
それでWHOは2015年からはヒトの新興感染症の名称に地名は使えないというルールを作りました。ただしそれ以前の病名についてはそのままにするということです。
今回のコロナウイルスには2月11日にCOVID-19という病名が付けられました。ウイルス名はSARS-CoV-2です。
「水俣病」の病名変更について
水俣病は感染症ではありませんが、WHOの決定により2015年以降に行うネーミングについては病名に地名を使用しないという指針を準用したとしても、それ以前に名付けられた既に確立された名前にまで適用されるものではないとされていますので、「水俣病」のままでも構わないし、もちろん変更することにも何の制限もないのです。
あらためて「水俣病」について
水俣病とは
若い人でも「水俣病」という言葉を耳にしたことのない人はあまりいないでしょう。
熊本県水俣市にあったチッソ株式会社が排出した工場廃液に含まれるメチル水銀。「水俣病」とはこのメチル水銀によって汚染された魚介類を摂取することで起きた健康障害のことで、1950年代に確認されました。
そして企業名ではなく町の名前を冠して名付けられたのです。この被害者の中でも、まさに母親の胎内でメチル水銀を取り込んでしまった患者たちは、ちょうど私自身と同じ年代の人たちなのです。
そういうこともあり、まだ九州新幹線が無いころ、JR特急つばめでこの付近を通るたびにテレビで流れていた水俣病に関するニュース映像シーンを思い出していました。
「水俣病」についてはその後南九州に住むようになってからも胸を痛めていた問題なのです 。
水俣市立水俣病資料館
2019年の夏にこの付近を車で通った際、冒頭の「メチル水銀中毒症へ病名改正を求める」という看板を目にしたのです。
その看板がずっと気になっていて、水俣病についてもうちょっと知ろうと思い水俣市立水俣病資料館を訪ねたのです。
水俣病の認知から現在に至るまでの経緯
水俣病については関連ウェブサイトもあり書籍も数多く出ているので素人の私が述べることはないのですが、そのあらましを簡単に抜き書きしておきましょう。
水俣病は窒素工場の排水にあったメチル水銀が海にいる魚介類に入り、それを人が食べることによって体内に取り込まれて起こるもので、空気感染や接触によってうつることなどはありません。
会社の創立者は、明治の後期に鹿児島県伊佐郡大口村(現伊佐市)に曾木電気株式会社を設立し、その後水俣に設立した日本カーバイド商会と合併して日本窒素肥料株式会社を作ったのです。
大正時代の後期あたりから工場の排水による漁業被害が出るようになり、会社に対し補償要求が行われたのはこの頃のことです。
戦前には今の北朝鮮にも発電所と共に化学肥料工場を作っていたんですね。戦前の食料増産のため、化学肥料は欠かせないものだったのです(今でも)。
昭和の初期にはアセトアルデヒドの生産が始まり、排水は無処理のまま港へ放流。さらに太平洋戦争が始まる頃には塩化ビニルの生産も始まり、同工程からメチル水銀が流出することになりました。
この戦時中からいわゆる水俣病の患者が出始め、昭和26年頃からは奇妙な現象が周囲に見られるようになったのです。
まず、水俣病の兆候が飼い猫や鳥などに現れ、やがて人間の体にも妙な現象が見られるようになり、窒素工場の廃液に混じっている水銀が原因と突き止められ、その後の訴訟を含む闘争の後、最終的に国、県までもその責任を認め、被害者に対する補償が進んできたのです。しかしまだ水俣病は解決したわけではありません。
世間の偏見、風評
水俣病と福島第一原発
2011年に発生した東日本大地震で、東京電力福島第一原子力発電所は、直後に発生した津波の襲来を受け非常電源を喪失して原子炉の冷却不能に陥り、放射能漏れの大事故を起こしたのは承知のとおりです。
放射能もメチル水銀と同様見た目にはその存在もわかりません。目に見えない物には恐怖を抱きます。そのため未だに帰還困難地域が残る福島第一原発の地元および周辺地域に対して、いわゆる風評被害というものが起きているのです。それだけではない。この地域出身者に対していわれなき偏見差別が蔓延(はびこ)っているというのです。
最近大阪市長が、福島第一原発のトリチウム水を大阪湾に流してもいいと言っているのをニュースで見ました。トリチウム水は環境基準以下に薄めて流せば人体に害はなく、他の原発でもそうしており、福島第一原発でも事故までは流していたというのです。
偏見を取り除くには荒療治も
本当にトリチウム水が環境基準以下に薄められているのであれば問題はないのです。ではなぜその話が進まないのでしょうか。大阪の主婦がテレビのインタビューで答えていました。
「そんな危ないもの流されたら困る」
処理水が海洋に放出された場合、その処理水からの直接的な影響とともに風評により付近で取れた魚が売れなくなることも大きな問題です。これは理屈ではどうにもなりません。
先ほどの大阪の主婦が答えた「そんな危ないもの」は身の回りには近づけたくはないのは誰にとっても当然のことだからです。
東京湾、大阪湾に流せないのなら、福島の海もダメでしょう
本当に問題ないのであれば大阪市長の言葉に甘えて、処理水を10万トンタンカーにでも積み替えて大阪湾に流したらいいのです。もちろん東京湾でもかまいません。1年くらい続けてみたらどうでしょうか。
これはこの風評を払拭するのに最も有効な方法であろうと思っています。
それでもし反対運動が起きるようであれば、福島の海にだって当然流すことは許されないでしょう。
もちろん廃棄する処理水の成分検査は厳密に行う必要があります。2018年の専門家会議で、「フィルタが一時不具合だったことがあり、その時にトリチウム以外の物質が含まれていることが明らかになった」という情報もあります。
名前を変えて水俣病はなかったことになるか
話を水俣病に戻しましょう。そんな中での冒頭の看板写真なのです。水俣の出身ということで未だに偏見、差別があるのは十分に考えられます。
しかし 「メチル水銀中毒症」 に名前を替えたら、それで問題は解決するのでしょうか。偏見はなくなるのでしょうか。水俣病はなかったことになるのでしょうか。
大事なことは、今や多くの被害者を出した原因であるメチル水銀は地中に封印され、市民も一丸となって偏見や風評被害と闘い、地域活性化のために一人一人が環境改善に努力した結果、徐々に活気を持ち出しつつあるいう「現在の水俣の姿」を見せることが水俣病を克服した証となるのではありませんか。
水俣病が発生したことは誠に気の毒ではありますが、「メチル水銀中毒症」 に名前を変えることにより「努力した結果水俣病を克服しつつある」という事実が見えなくなってしまうことの損失の方がはるかに大きいのではないかと思います。
「水俣病」という名称が偏見等を招いていると言うのであれば、その偏見等を無くすのもまた「水俣病」という名称なのではないでしょうか。立ち直った現在の姿を示すことこそ重要であろうと思います。


今の水俣を訪ねてみよう
水俣市を訪ねてみましょう。福岡方面から来る場合、九州自動車道が水俣まで開通しています(八代からは対面通行)。
国道3号線に出たらそのまま南下し、薩摩オレンジ鉄道の水俣駅前を通過してから1300メートルほどで右折。埋め立てられたかつての百間港の大部分や市立水俣病資料館を見てください。
電車の方も時間があれば途中下車してみる価値は十分あります(九州新幹線は新水俣駅下車、在来線は肥薩オレンジ鉄道水俣駅)。
かつては街全体が暗く沈み込んでいると思っていたのですが、公害の街というイメージから脱却しよう、環境を優先した住みよい街にしようという意気込みがいたるところで感じられました。
水俣病を克服し立ち直った姿を見せることが重要
冒頭の文と重複してしまいますが、全国的に知られている「水俣病」という名前を変えたところで、あの「水俣病」はいまだに被害者が増加し、住民の健康をむしばみ、解決されることなく、まさに得体の知れない幽霊のごとく八代海周辺を漂っている、と人々の心に誤った認識を植え付けることになるのではないでしょうか。
今になって「水俣病」という名前を隠すのではなく、「水俣病」とはどんな病気であるのか、何が原因なのか、どのように対策が取られて現在はどうなっているのか。住民がこの公害病と闘ってきた歴史を示し、しっかりと国民に理解してもらうことが重要であり、このことが偏見や風評被害をなくす重要な条件であると思います。
(参考:水俣市立水俣病資料館、鹿児島県観光サイト、ノーモア・ミナマタ第2次訴訟弁護団HPほか)
不知火患者会訴訟(ノーモア・ミナマタ熊本訴訟)が和解したのはつい最近、平成23年のことなのです。そしてすべての水俣病被害者を救済を求める「ノーモア・ミナマタ第2次訴訟」は2020年に入っても裁判中なのです。
(おわり)
