備前国の和気神社-和気清麻呂ゆかりの地

岡山県和気町の和気神社

京都へ出かけた帰り、以前から行ってみたいと思っていた岡山県の和気神社を訪ねました。

この人がいなかったら今の天皇家はなかったかもしれないんですね。どういうこと? まずはそのことから話を進めていきましょう。

目次

奈良時代をちょっと覗いてみよう

聖武天皇と後継者の孝謙天皇

時は八世紀半ば、749年(天平勝宝元年)7月、聖武天皇と光明皇后の娘阿部内親王は、父の譲位を受けて孝謙天皇として即位。御年32歳。

皇太后となった母光明子こうみょうしをバックにしてその甥である藤原仲麻呂が皇太后のために自ら設置した紫微中台※ しびちゅうだいの長官になり、権力を蓄えることとなります。

※ 紫微中台・・・749年に設置された国の機関であるが、実態は権力を持ちつつあった藤原仲麻呂の政治・軍事機関

756年(天平勝宝8年)聖武上皇が崩御。女帝である孝謙天皇の後継者問題を心配した聖武は遺言で道祖王ふなどおうを皇太子に指名したものの、翌年左大臣であった橘諸兄たちばなのもろえも亡くなると道祖王は廃され、藤原仲麻呂が後見する大炊王おおいおうが皇太子となります。

757年(天平勝宝9年)、このような動きに不満を持っていた貴族たちが橘奈良麻呂(橘諸兄の息子)を中心にクーデターを企てるが密告により未遂となります。

孝謙天皇は淳仁天皇に譲位

孝謙天皇は758年(天平宝字2年)に 病気の母親である光明皇太后に仕えることを理由に引退、天皇の地位を淳仁天皇(大炊王)に譲位し太上天皇となりました。

しかし即位した淳仁天皇は仲麻呂(この年に恵美押勝えみのおしかつと改名)の傀儡であり、自分のおば、いとこと共に権力を握ることになります。

760年(天平宝字4年)に恵美押勝は大師(太政大臣)となり権勢を極めるのですが、同年後ろ盾であった光明皇太后が亡くなると、恵美押勝の権力にも影が射すようになります。

761年に孝謙上皇自身が病に伏せってしまい、 近江保良宮で 看病に当たった弓削氏の僧・道鏡により治癒に向かったことから、孝謙上皇は道鏡を重用・寵愛するようになるのです。

これをいさめた淳仁天皇と孝謙上皇との仲は悪化し、762年(天平宝字6年)孝謙上皇は国家の大事である政務を自分が執ると宣言。

これに対抗し息子たちを次々と軍事的要職に付けるなど自家中心の施策を取った恵美押勝は、他氏族や藤原氏の他家から反発を買い孤立していきます。

764年(天平宝字8年)9月、恵美押勝は乱を起こしますが、孝謙太政天皇側の迅速な対応により琵琶湖北西岸で兵士に惨殺されるのです。

重祚ちょうそした天皇と僧道鏡の出世

恵美押勝の乱に勝利した孝謙太政天皇は淳仁天皇を排して淡路に閉じ込め、再び称徳天皇として即位しました。

僧道鏡は恵美押勝の乱後どんどん出世して、766年には法王になります。法王の待遇は天皇並みとされ、称徳天皇と共に仏教中心の政治を行います。

もう一度天皇になることを重祚っていうのね

しかし称徳天皇は相応しい人物が現れるまで皇太子は決められないとしたため、次の皇位継承をめぐる貴族たちの様々な動きがやまず、政治的に不安定な状況が続きました。さらに連年の飢饉が追い打ちを掛けます。
(この項目はさらに記事追加修正予定です)

宇佐八幡宮神託事件

僧道鏡を天皇にしたら天下泰平?

そうした中で769年(神護景雲3年)に起きた事件というのが、

「道教をして皇位につかしめば、天下太平ならむ」

という宇佐八幡神の託宣があったことから、称徳天皇が道鏡への譲位を模索した事件なのです。

ご神託の確認のため、和気清麻呂が宇佐八幡宮へ

 称徳天皇は託宣が本当かどうかを確認するため宇佐八幡宮へ勅使を派遣することにしました。

勅使として女官の和気広虫(わけのひろむし)が任じられましたが、広虫は病弱なため長旅には耐えられないと弟の清麻呂を推薦したのです。

命を受けた清麻呂公は都を出発してから10日余りで宇佐神宮に到着しました。

先の託宣は虚偽であった

宇佐八幡宮で、ことは国家の一大事であると託宣の真偽をただしたところ、

「我が国は開闢(かいびゃく)以来臣下を君主とすることはなかった
皇位は必ず皇孫が継ぐのである
道鏡は皇位に就こうとの野望を抱いている
汝は朝廷に戻り天皇に奏上せよ。道鏡の恨みを恐れるな
私が必ず助けるであろう」

とのお告げがあり、清麻呂公はこのご神託を持ち帰って先の託宣は虚偽であったと報告したのです。

清麻呂公は大隅国、広虫は備後の国へ配流

道鏡の怒りを買った清麻呂公は別部穢麻呂(わけべのけがれまろ、又はきたなまろ)と改名させられ脚の腱を切られ大隅国へ流されました。

 清麻呂公は歩くのもままならない状態でしたが、皇統の維持が図られたことに対しお礼をするため宇佐八幡宮へ立ち寄ることにしました。

そのとき清麻呂公の暗殺を企図した道鏡が送った刺客がこっそり後を追っていたのです。

一行が豊前国に上陸したときにどこからともなく300頭余りの猪の大群が現れ、和気清麻呂公の輿(籠のような乗り物)の周りを囲んで刺客から守るように付き添い、清麻呂公が宇佐八幡での参拝を終えるとイノシシたちはどこかへ去って行ったのです。

そして不思議なことに清麻呂公の足は治り、再び歩けるようになったと伝えられています。

お守り裏側
① 京都護王神社で売られている足腰のお守り(表)
京都護王神社で売られている足腰のお守り
② 護王神社で売られているお守り(裏)
大隅和気神社で売られているお守りのひとつ。
③ 大隅国和気神社で売られているお守りの一つ

③ の写真(大隅国・和気神社)には

「イノシシは足が震えて歩けなくなった清麻呂公を霊泉に案内し足が治ったと言われています」

と書かれています。腱を切られたという話に比べるとずいぶん穏やかですね。

清麻呂公の名誉回復と道鏡の没落

770年(神護景雲4年)8月、称徳天皇が崩御。同年9月清麻呂公は召し返され翌年には元の位に着きました。姉の広虫も京へ戻ることができました。

清麻呂公はその後当時の大事業である平安遷都の大功を残しました。

一方道鏡の政治的基盤は貴族社会の中では大きな力を占めていなかったので、称徳天皇という後ろ盾が無くなるとたちまち失脚することになりました。

道教は次の皇太子となった白壁王しらかべおうの令により下野の国(栃木県)の薬師寺別当を命ぜられ下向し、その地で没して庶民として葬られたのです。

備前国の和気神社

 清麻呂公の生誕地である岡山県和気町には、和気氏一族の氏神である和気神社があります。ここには清麻呂公および姉の和気広虫が祀られています。

清麻呂公の像

 参考までに京都護王神社の清麻呂公の像を横に並べてみました。なお、大隅国の和気神社には清麻呂公の像はありません。

大猪殿

随神門を過ぎて左側にあります。

大猪殿--平成19年の亥年を記念して猪のはく製が奉納された

 平成19年の亥年を記念して猪のはく製が奉納され、ここ大猪殿に納められました。
因みに大隅国(鹿児島県)の和気神社には「和気ちゃん」という生きた白猪がいます。

交通アクセス

清麻呂の配流先である大隅国の和気神社

 流刑された大隅国(鹿児島県霧島市牧園町)には清麻呂公を祭神とする和気神社が創建されています。白猪「和気ちゃん」がいるのは上述のとおりです。

 1853年(嘉永6年)薩摩藩主島津成彬が側近に命じて調査を行わせ、この地が配流先と確定しました。清麻呂公の像はありません。

 備前和気神社と同様に大隅国和気神社もふじ公園が有名です。(大隅国のふじ祭りは、2020年、2021年と続いて新型コロナの影響で中止となりました。)

古代史ドラマスペシャル「大仏開眼」

 今から10年ほど前に古代史ドラマスペシャル「大仏開眼(前後編)」という番組がNHKで放送されました。

 大しけの中を日本へ向かう遣唐使船のシーンから始まるこのドラマ。唐で非凡な学才を認められた吉備真備が同じ留学生の僧・玄昉と共に命がけで帰国したのでした。

 時代はちょうど聖武天皇の頃で、聖武天皇の娘・安倍内親王(のちの孝謙・称徳天皇)を石原さとみが好演しています。ほかに藤原四兄弟や藤原仲麻呂、僧・行基も登場します。

 和気清麻呂や道鏡が登場する少し前のことですが、時代考証もしっかりしていると思われ、当時の雰囲気を十分に堪能できると思います。私はこの時代の史跡を訪ねたり書物を読むときは、しばしばこのドラマのシーンを思い出し情景を頭に描きます。

 このドラマは現在NHKオンデマンドで見ることができます。配信期間が毎年延長されていて、最近確認したところ2022年11月30日までとなっています。ぜひご覧になってください。DVDもあるようですが安くはないです。

NHK 古代史ドラマスペシャル「大仏開眼」のあらすじ

天平6年(734)、唐で非凡な学才を認められた遣唐使・下道真備(しもつみちのまきび・後の吉備(きびの)真備)が17年ぶりに帰国。藤原仲麻呂に招かれた平城京の宮中の席で、聖武天皇の娘・阿倍内親王(後の孝謙天皇)と出会い、教育係に抜てきされます。3年後、権勢を誇っていた藤原の四兄弟が天然痘で病死し、権力交代とともに真備は重用されます。一方、聖武天皇は河内の寺で見た盧舎那仏(るしゃなぶつ)に魅せられ…。
(NHKオンデマンド 前編より)

大仏造立への思いを募らせる聖武天皇。真備(まきび)は国の疲弊を理由に反対しますが、聖武天皇の切なる願いを知り、僧・行基(ぎょうき)との間を取り持ちます。一方、律令(りつりょう)国家の復権をもくろむ仲麻呂は光明皇后を後ろ盾に、孝謙天皇を傀儡(かいらい)として権力を握り真備を唐に追放。激動の平城京で、9年をかけて完成した大仏の開眼(かいげん)法要が盛大に行われます。翌年、真備が唐からの帰国を果たし…。
(NHKオンデマンド 後編より)

DVDは高いです。NHKオンデマンド料金の半年分くらい

参考:角川まんが学習シリーズ
   放送大学印刷教材「日本の古代中世」他

(おわり)

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